山形地方裁判所 昭和32年(わ)83号 判決 1958年12月26日
被告人 中川{文心}
主文
被告人を懲役弐年に処する。
但し、本裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。
被告人から金百弐拾四万七千五百円を追徴する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は水産講習所(現水産大学)卒業後昭和九年六月農林省水産局漁政課に奉職し、その後昭和二十年一月神奈川県水産課に転勤したが昭和二十七年七月農林技官に任命されて再び農林省水産庁に復帰し、昭和二十八年三月二十日から昭和三十二年六月八日休職になるまでの間、同庁漁政部漁業調整第一課に勤務し同課中型班長として中型機船底曳網漁業の許可、認可、取消、変更等の審査、起案、施行、及び中型機船底曳網漁業相互間又は他種漁業との間の操業区域、禁止区域、禁止期間の調整など中型機船底曳網漁業に伴う漁業調整、並びに中型機船底曳網漁業の経営の合理化に関する企画、指導、新漁場開発に関する調査、助成、中型機船底曳網漁業者に対する指導、監督等の職務を担当していたものであるが、
第一、底曳網漁業はもと農林大臣の許可漁業とせられていたところ、昭和十九年から戦時中の臨時措置として一時都道府県知事の許可に委せられていた関係上、当時の食糧増産の要請とも相俟つて許可が濫発されたため国内の底曳網漁船は著しく増加しその数約二千八百隻に達するに至り、為に沿岸漁業との間の摩擦相尅が生ずると共に濫獲による資源の枯渇が憂慮されるに至つたので、昭和二十四年四月右臨時措置を廃止して再び大臣許可制を採るに至つたが、その時以降、資源を保護し且つ沿岸漁業の秩序を推持するため底曳網漁業を減船整理することが水産行政上の大きな課題の一つとせられることになつた。農林省は底曳網漁業の減船整理施策として昭和二十二年九月二十三日「東経百三十度以東機船底曳網漁業の許可及び起業の認可の方針に関する件」と題する農林次官通牒、及び昭和二十五年四月十一日「以東底曳総合的基本対策要綱」と題する水産庁長官通達、その他累次の通牒、通達を発して底曳網漁業の新規の許可又は起業認可の申請は原則としてこれを認めないとの方針を樹てると共に、他方例外として認められる現許可船の代船による許可申請、及び許可を譲受承継した場合における許可申請等においてもその許可手続を厳格に制約することによつて代船、承継等による雪達磨式の膨張を押えてきたが、次いで昭和二十七年漁業法の一部改正により底曳網漁業が小型機船底曳網漁業と中型機船底曳網漁業とに分離せられるに伴い同年四月七日制定せられた小型機船底曳網漁業整理特別措置法に基き小型機船底曳網漁業を一応整理転換せしめ、中型機船底曳網漁業は当時なお約二千三百雙の漁船を数える有様であつたので昭和二十八年八月二十五日「中型機船底曳網漁業整理転換要綱」及び同年九月二十八日「中型機船底曳網漁業整理転換費補助金交付要綱」と題する各水産庁長官の通達により中型機船底曳網漁業船に補助金を交付してこれを鰹鮪漁業、秋刀魚棒受網漁業その他へ転換せしめるという強力な措置が採られるに至つたところ、戦後再開された北洋母船式鮭鱒流網漁業の昭和二十七年、二十八年度における試験操業が好成績を収め企業として充分成り立つことが判明したので、昭和二十九年度以降北洋母船式鮭鱒漁業がいわゆる許可操業の段階に入るのを機会に中型機船底曳網漁船を北洋母船式流網漁業の独航船に転換せしめることによつてその減船整理の実を挙げ併せて国費の節約を計らんとする議が持ち上り、これが採用せられ、中型機船底曳網漁業減船整理施策の一環として、昭和二十九年度における北洋母船式鮭鱒流網漁業に独航船として新に出漁の許可を受けるためには中型機船底曳網漁業の許可を廃業することがその要件の一つにせられることになつた。即ち、昭和二十八年十一月十六日農林大臣によつて決裁せられた「明年度母船式鮭鱒漁業について」と題する昭和二十九年度北洋母船式鮭鱒流網漁業の実施計画において「独航船は北海道及び石川県、千葉県以北十一県の中型機船底曳網漁船から選定する」旨が、また右実施計画に基いて為された同月十八日水産庁長官決裁の「明年度母船式鮭鱒漁業独航船の選定方法について」と題する選定基準において、独航船の選定優先順位は、試験操業に独航船として出漁した実績船を第一順位とするが、次いで第二順位として「中型機船底曳網漁船の許可を廃業し、同船又は同噸数程度の代船により許可を申請した漁船」とし、その他の漁船は右第一、第二順位の漁船が出漁独航船総隻数に満たない場合にのみ補充的に選定せられ得るとせられ、実績船でない新規着業船による許可申請には中型機船底曳網漁業許可証の写とその廃業届とを添附することが必要となつた。しかして右許可申請に添附せられる許可証の写を中型機船底曳網許可台帳と照会してその存否を確めその廃業届の可否等を審査し、その結果を北洋母船式鮭鱒流網漁業の許可事務を担当する生産部海洋第一課に通知して許可不許可の資料たらしめる事務は、中型機船底曳網漁業許可に関する事務の一部として漁業調整第一課中型班長であつた被告人の所掌するところとせられていた。
酒田市栗林瀬四番地に事務所を有する四ヶ浦漁業協同組合は昭和二十八年九月頃から船舶総噸数六十五噸の漁船協栄丸を新造して昭和二十九年度における北洋母船式鮭鱒流網漁業に出漁することを計画し、昭和二十八年十一月五日附で鰹鮪漁業に従事する漁船という名目で漁船建造許可申請を提出すると共に新潟造船株式会社と造船契約を締結して協栄丸建造の準備を進める一方、同月二十五日附で漁船協栄丸による昭和二十九年度北洋母船式鮭鱒流網漁業独航船出漁許可申請書を提出し、右申請書は同月三十日附で山形県知事から水産庁長官宛に進達せられたのであるが、右漁船協栄丸は鰹鮪漁船として建造せられるものであつて中型機船底曳網漁業許可を受けている漁船ではないし、且つ実績船でない新規着業船であるから、申請どおり独航船出漁許可を得んがためには、前述の独航船選定方法に従い、協栄丸の船舶総噸数六十五噸程度の中型機船底曳網漁業許可を他から譲受けてこれを廃業せしめる必要があつたので、同組合は右独航船出漁許可申請に際し、高橋兼雄の所有漁船妙宝丸十九噸六〇、伊原助蔵の所有漁船第二宝栄丸十九噸七四、池田金吉の所有漁船広徳丸十五噸三四の各中型機船底曳網漁業許可を譲受けたことにして一応の形式を整えたものの、真実は一時これを借用したに過ぎず早急に返却すべき必要に迫られていたため、同組合の組合長伊原助蔵は当時山形県農林部水産課長であつた菅宮文作等の協力を得て中型機船底曳網漁業許可の補充噸数獲得に奔走していたものであるが、被告人は、
(一) 昭和二十八年十二月十四日頃、東京都千代田区有楽町一丁目四番地料亭「一松」こと佐藤マツ方において、四ヶ浦漁業協同組合組合長伊原助蔵から、右協栄丸六十五噸の昭和二十九年度北洋母船式鮭鱒流網漁業独航船出漁許可申請に必要な中型機船底曳網漁業許可の補充噸数の売主を探してその譲渡方の交渉をなし、もつて右協栄丸が独航船として出漁し得られるよう尽力して貰いたい旨その職務と密接な関係のある事項につき請託を受けてこれを承諾し、その直後、その場において、それに対する謝礼等とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら、菅宮文作を介して右伊原助蔵から金二万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(二) 昭和二十九年一月十二日頃、同区霞ヶ関二丁目二番地農林省水産庁漁政部漁業調整第一課事務室において、右伊原助蔵及び菅宮文作の両名から、右協栄丸の補充噸数として譲受けようとしていた潮来初太郎の所有漁船太幸丸二十九噸三一の中型機船底曳網漁業許可に、その許可の制限として「この許可船の代船として使用しようとする船舶の申請は船舶総噸数十六噸〇〇の範囲のものでなければならない」との条件が附されているが、右条件制限に拘らず船舶総噸数二十九噸三一全噸の許可噸数をもつて右協栄丸の補充噸数として使用することを承認して貰いたい旨その職務に関する事項につき交々請託を受けてこれを承諾し、同日夜、同都中央区銀座八丁目二番地料亭「銀はな」こと家入シヨウ方において、それに対する謝礼とする趣旨で交付するものであること情を知りながら、菅宮文作を介して右伊原助蔵から現金五万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(三) 同月二十八日頃、前記漁業調整第一課事務室において、右伊原助蔵の依頼を受けた当時の山形県農林部水産課漁業調整係長青木茂彦から、右同様の請託を受けてこれを承諾し、同日夜、前記「銀はな」において、それに対する謝礼とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら、青木茂彦を介して右伊原助蔵から現金三万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
第二、底曳網漁業許可の濫発に伴い発生した沿岸漁業と底曳網漁業との間の摩擦相剋を調整することは水産行政に課せられた第二の課題とせられていたところ、北海道における沿岸漁業者と底曳網漁業者との漁場を廻る対立は殊に深刻を極め、沿岸漁業者は鰯鰊の漁獲高が累年減少すること等に刺戟され、不漁の原因は一に底曳網漁業による濫獲にあるものと断じ、昭和二十七年夏頃から北海道全沿岸海域より底曳網漁業を排斥する運動を展開し北海道庁に強力な陳情をするに及び、北海道庁はまた沿岸漁業者の要望を容れて中型底曳網漁業の操業禁止区域の拡大と操業禁止期間の延長を内容とする案を樹て、昭和二十七年九月水産庁に意見書を提出してその実施方を要請した。この道庁の禁止区域拡大案はこれを石狩湾及びその周辺海域についてみると、石狩湾内の好個の漁場である余市鱈場を始め雄冬鱈場、美国、古平沖合、及び利尻島、礼文島周辺一帯の漁場がことごとく操業禁止区域に入ることになるのであるが、余市鱈場は小樽、余市から至近の距離にある鱈、鰈の漁場で小樽在住の中型底曳網漁業者は年間水揚総量の二十五乃至三十パーセント、金額にして約二億円に上る漁獲を挙げていた漁場であり、若しこの余市鱈場及び雄冬鱈場その他右各漁場で操業を禁止せられることになれば小樽在住の中型機船底曳網漁業者は甚大な打撃を蒙り死命を制せられるに至るかも知れない状勢に立ち到つたため、小樽機船底曳網漁業協同組合(以下単に底曳組合と略称する)と小樽市漁業協同組合生産部機船底曳網漁業部会(以下単に市漁業組合底曳部会と略称する)とが一団となり昭和二十七年十月いち早く石狩湾漁業対策委員会を結成し北海道全道の底曳網漁業者の中心となつて沿岸漁業者の操業禁止区域拡大運動に対する反対運動を展開し、水産庁に対する道庁案反対の陳情等を行つた。被告人が漁業調整第一課中型班長に就任した直後である昭和二十八年六月水産庁においては北海道庁の前記中型機船底曳網漁業の禁止区域拡大案を本格的に検討することになり、その主務課の係官である被告人が中心となつて調査したところ、道庁案は沿岸漁業者と底曳網漁業者とが相対陣したまゝ沿岸漁業者側にのみ拠つて一方的に立案せられたものであることが判明したので双方の代表者を招集してその間の調整に乗り出し、太平洋及びオホーツク海沿岸海域については道庁案に近い線で双方の了解に達したが、石狩湾及びその附近の海域についてはそこを操業海域とする底曳組合等の代表者が極力反対して容易に妥結に至らなかつた。被告人及び水産庁関係係官は石狩湾及びその附近海域についての道庁案は、第一に、若しそれが実現せられると底曳組合及び市漁業組合底曳部会員等が従来操業していた漁場のほとんど全てを失うことになること、第二に、右組合員等はそのほとんどが三十噸未満の底曳船で操業しているのであるから道庁案の禁止区域外の沖合で操業することは事実上不可能であること、第三に、利尻、礼文、天売、焼尻島附近海域の禁止区域を道庁案通り拡大しても沿岸漁業者の漁船では実際上その区域に乗入れて操業することはできないこと、等の理由から小樽の底曳網漁業者側の主張を是とし、沿岸漁業者側を極力説得することに努める一方、北海道庁に対し操業禁止区域拡大に伴い打撃を蒙る中型機船底曳網漁業者に対する救済策についての意見を具したところ、北海道庁はこれに対し根拠地の増設と他種漁業の兼業を認めるという消極的な態度を出でなかつたので、水産庁は底曳網漁業者の立場を考慮し道庁案によつて最も打撃を蒙る小樽の底曳網漁業者に対し道庁が指摘する(イ)根拠地の増設、(ロ)他種漁業の兼業の許可、の外に、更に(ハ)沖合操業に必要な漁船の大型化に伴う中型機船底曳網漁業許可噸数の補充噸数を漁船五十五噸までの分については四ヶ年間、即ち昭和三十二年九月十五日まで猶予する、及び(ニ)オホーツク海域を操業区域とすることを認める、といういわゆる四原則の方針を明かにし、他方北海道庁も右四原則の実現に協力することを確約したため底曳組合等の代表者も譲歩するに至りようやく双方の妥協に達したので、昭和二十八年七月二十日水産庁長官から北海道知事宛の、小樽の中型機船底曳網漁業者に対する右救済四原則を明かにした通牒を発し、次いで同月二十四日中型機船底曳網漁業の操業禁止区域の拡大につき、余市鱈場は禁止区域内とするも、雄冬鱈場を禁止区域外とし、利尻、礼文、天売、焼尻島附近海域については従前どおりとするという、当初の道庁案を石狩湾及びその附近海域について多少修正縮少せしめた程度の「昭和二十二年農林省告示第七六号(中型機船底曳網漁業を禁止する区域の指定)の一部改正等について」と題する農林省告示を公布し、ここに中型機船底曳網漁業者の漁船を大型化して沖合操業に移向せしめることによつて北海道沿岸漁業者を保護するという施策が実施せられることとなつた。底曳組合及び市漁業組合底曳部会員等は右通牒に従い逐次その所有漁船を大型化して沖合操業に従事していたのであるが、右救済四原則の第三項にいう中型機船底曳網漁業許可噸数の補充噸数とは、前記の中型機船底曳網漁業許可の抑制に関する一連の通牒、通達により、現許可船を改造して増噸した場合、又は現許可船の代船として現許可船の船舶総噸数を超える漁船を使用せんとする場合等において、その増加した噸数を他の許可船から譲受けてこれを補充しなければならないことになつており、この関係にあるものを補充噸数と呼んでいるものであるところ、北海道内においては昭和二十九年十二月八日附北海道知事の水産庁長官宛「中型機船底曳網漁業許可に伴うトン数補充等について」と題する書面で、北海道内の底曳網漁業者が噸数を補充する場合は補充噸数中少くとも二分の一を道内噸数で補充せしめるよう上申し、この案は同月十四日水産庁において採択せられた結果、北海道内においてのみ昭和二十九年九月六日「中型機船底曳網漁業の許可又は起業の認可の方針に関する件」と題する水産庁長官通達第四の七号の例外が認められているという特異な状況にあつたのに加えて、前記のとおり北洋母船式鮭鱒流網漁業に独航船として出漁するがためには昭和二十九年度以降においては中型機船底曳網漁業を廃業することが原則的な要件とせられていたため独航船出漁許可申請の為の買漁り等が原因となつて、補充噸数に充当すべき道内噸数は極度に不足し、為に道内噸数は一噸当り二十万乃至二十五万円の高値を呼ぶに至り、底曳組合及び市漁業組合底曳部会の関係組合員は噸数の補充の方途も樹たないまゝ日を送つているうち、昭和三十一年春に至り水産庁から噸数補充計画案を提出するよう促された。当時底曳組合の組合員で噸数を補充しなければならない者十名、十隻で約百四十噸、市漁業組合底曳部会においては十名、十隻で約百七十六噸、合計三百噸余りの補充噸数を必要としたが、前述のとおり道内噸数は極度に払底してほとんと入手できない状況にあつたうえ価格も内地噸数を七、八万円も上廻る高値であつたため、関係組合員は北海道庁に対して補充噸数に対する道内噸数二分の一の制限の撤廃方を要求していたにも拘らず、北海道庁は前記救済四原則の際の確約に反して右要求を容れようとせず、あくまでも道内噸数二分の一の制限を固執してこれに応ずる気配がなかつたので、補充噸数の猶予期間満了日である昭和三十二年九月十五日を間近かにひかえた昭和三十一年六月上旬頃、底曳組合の理事高橋政雄、市漁業組合底曳部会長大地岸太郎を始めとする底曳組合及び市漁業組合底曳部会の関係組合員二十名全員が底曳組合二階応接室に会合し、底曳組合伊勢組合長及び底曳組合常務理事兼業務部長表一二等を交えて不足噸数の補充計画について種々協議を重ねた結果、北海道庁が沿岸漁業者を擁護する立場に立つて補充噸数の道内噸数二分の一の制限を固執する限り不足噸数の補充計画は到底たち得べくもないから、この際むしろ水産庁の係官である被告人その他に陳情して、補充噸数は全部内地噸数で補充し得るようにし、若しそれができなければ補充の猶予期間を延長するよう要請する以外に方法がないとの結論に達し、その際、右要請を貫徹するがためには係官に金品を贈与したりすることも止むを得ない、その為の費用として百万円や百五十万円使つても差支ないが、その費用は関係組合員が各自の補充噸数に按分して負担するとの議がまとまり、右高橋政雄、同大地岸太郎、及び同表一二の三名をその代表者として中央に送り強力な陳情運動を展開しようと計画していたものであるが、被告人は、
(一) 昭和三十一年六月二十日頃、東京都板橋区成増町四百二十七番地の自宅において、右高橋政雄等が北海道庁の中型機船底曳網漁業の操業禁止区域拡大案に関し被告人から右のごとく職務上種々好意ある取扱を受けたこと、及び当面の懸案である不足噸数の補充問題について底曳組合及び市漁業組合底曳部会の関係組合員の右のごとき要請を勘案して好意ある取扱を得たいためその謝礼とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら、同人から現金五十万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(二) 同年七月二十八日頃、被告人の前記自宅において、右高橋政雄から右同様の趣旨で現金三十万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(三) 同年九月二十三日頃、被告人の前記自宅において、右高橋政雄から、右同様の趣旨で現金二十万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(四) 昭和三十二年三月十五日頃、小樽市稲穂町西六丁目二番地「天狗寿司」こと安藤安太郎方において、右高橋政雄から右同様の趣旨で現金十万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
第三、同日頃、右「天狗寿司」前道路上において、小樽市に本店を有する小林水産株式会社の代表取締役社長小林仁八郎が、同会社が昭和三十年十月なしたその所有漁船第十二千歳丸の機関改造に伴う中型機船底曳網漁業許可申請、同年十二月なした北洋母船式鮭鱒流網漁業出漁船第八千歳丸の裏作とする中型機船底曳網漁業再着業許可申請、昭和三十一年一月なした第八千歳丸の機関改造に伴う中型機船底曳網漁業許可申請等につき被告人から職務上種々好意ある取扱を受けたこと、及び今後も同様の取扱を得たいためその謝礼とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら、同人から現金五千円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
第四、昭和三十年十二月十四日頃、東京都千代田区銀座八丁目四番地料亭「帆利川」こと小林文子方において、山形県西田川郡温海町に事務所を有する念珠ヶ関漁業協同組合組合長本間伊勢蔵等が、同組合の所有漁船第八十八羽前丸が昭和三十一年度における北洋母船式鮭鱒流網漁業独航船出漁許可を得るために必要な同船の中型機船底曳網漁業認可申請に関し職務上好意ある取扱を得たいためその謝礼とする趣旨で提供するものであることの情を知りながら、同人等から一人当り金二千五百円相当の酒食の饗応を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
第五、八幡浜市千五百二十六番地に本店を有する岩切水産株式会社社長岩切徳市から、
(一) 昭和三十年三月上旬頃、東京都文京区本郷真砂町三丁目旅館「真成館」において、同会社の所有漁船第五及び第六恵美須丸が漁業法違反罪により第一審裁判所である鹿児島地方裁判所で船体没収の言渡を受けたことから、将来右漁船の中型機船底曳網漁業許可を他に売却して廃業し以西底曳網漁業その他へ転換することの可否等につき被告人から職務上種々好意ある助言指導を得たこと、及び今後も同様の取扱を得たいためその謝礼とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら現金一万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(二) 同年六月上旬頃、右「真成館」において、右同様の趣旨、及び右漁船第五及び第六恵美須丸の中型機船底曳網漁業許可の廃業手続に関し職務上種々好意ある助言指導を得たことに対する謝礼とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら現金一万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
(三) 同年十一月頃、右「真成館」において、右漁船第五及び第六恵美須丸の中型機船底曳網漁業許可を廃業し以西底曳網漁業許可を他から承継して転換したことに関し職務上種々好意ある助言指導を得たことに対する謝礼とする趣旨で交付するものであることの情を知りながら現金一万円の供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
第六、昭和三十一年十二月下旬頃、被告人の前記自宅において、名古屋市で各種漁業権の売買の仲介業を営んでいた三橋多一が、同人が売買の仲介をした徳島県海部郡牟岐町に居住する桝富久の所有漁船昭久丸(船舶総噸数約二十五噸)の中型機船底曳網漁業許可を愛知県宝飯郡形原町に居住する鈴木金八の所有漁船金盛丸に承継せしめるにつき、その中型機船底曳網漁業承継許可申請に関し被告人から職務上種々好意ある取扱を得たこと等に対する謝礼とする趣旨で送付したものであることの情を知りながら、同人から前記自宅宛に郵送された株式会社松坂屋百貨店発行の額面一万円の商品券一枚を受領して供与を受け、もつてその職務に関し賄賂を収受し、
たものである。
(証拠の標目)(略)
(不正行為等の成立を認めない理由)
昭和三十二年六月七日起訴に係る加重収賄被告事件(昭和三十二年(わ)第八三号)の公訴事実によれば、
「被告人は、
(一) 昭和二十九年一月十二日頃、東京都千代田区霞ヶ関二丁目二番地水産庁漁業調整第一課事務室において、右伊原助蔵が承継代船として予定した千葉県銚子市潮来初太郎所有中型底曳許可船太幸丸に関する同許可の有無並に制限条件の確認方照会を為したのに対し、右太幸丸の承継代船許可の範囲が許可条件により同船の船舶総噸数二十九噸三一の内十六噸に限られており、従つて被告人としては職務上前記伊原助蔵に対し右十六噸の範囲内で代船承継すべき旨を告知指導すべきであるのに拘らずこれを為さず、却つて船舶総噸数二十九噸三一をもつて前記承継代船許可の対象として事務手続を進める旨申向け、職務上相当の行為を為さず、
(二) 昭和三十一年三月二日頃、前記事務室において、山形県農林部長の副申書類と共に四ヶ浦漁業協同組合より提出された右太幸丸の機船底曳網許可証の審査を為すに当り、前記のとおり同許可船の承継代船許可の範囲が十六噸に限られており、従つて右十六噸の範囲内でのみ承継代船許可の審査手続を執るべきであるのに拘らずこれを為さず、却つて船舶総噸数二十九噸三一を承継代船許可の対象と為すことにより、前同組合が昭和二十九年度北洋母船式鮭鱒流網漁業許可の条件を正当に具備した中型底曳の承継代船許可を受け、これを廃業転換することにより、北洋漁業の許可申請をなすものである如く取扱つて事務処理し、その結果情を知らない北洋漁業の許可事務を所管する水産庁生産部海洋第一課係官をして、所定手続を為さしめて同年三月五日頃前記組合に対し、農林大臣名を以て同漁業の許可を為すに至らしめ、次いで同年六月五日頃前記漁業調整第一課中型班係官をして、同年四月二十八日附で中型底曳許可台帳に前記潮来初太郎所有太幸丸の船舶総噸数二十九噸三一が北洋漁業への転換補充噸数として使用され、同許可の効力が消滅した旨記入せしめ、以て自己の職務に関し不正な行為をなし、
たものである。」
というのであるが、右のうち、被告人が四ヶ浦漁業協同組合から提出せられた漁船協栄丸による昭和二十九年度北洋母船式鮭鱒流網漁業独航船出漁許可申請を審査するに当り、右協栄丸の補充噸数とせられていた潮来初太郎の所有漁船太幸丸二十九噸三一の中型機船底曳網漁業許可に、その許可の制限として「この許可船の代船として使用しようとする船舶の申請は船舶総噸数十六噸〇〇の範囲のものでなければならない」との条件が附されているのに拘らず、船舶総噸数二十九噸三一全噸の許可噸数をもつて右協栄丸の補充噸数となし得るものとして事務手続を進め、その結果、公訴事実記載のような経緯を経て右協栄丸の北洋出漁許可が為されるに至つた、という事実は被告人もこれを認めて争はないところである(被告人の当公廷における供述、及び検察官に対する昭和三十二年五月二十五日附、同月二十七日附各供述調書、並びに押収に係る水産庁備付「千葉県の中型機船底曳網許可台帳」一冊(証第四号)参照)。本件主要の争点は、被告人が右太幸丸の中型機船底曳網漁業許可に右のごとき制限条件が附されているのにその許可噸数全噸をもつて右協栄丸補充噸数と為し得るものとして事務手続を進めたことが果して不正行為といえるかどうかの点である。よつて、以下審按する。
一、昭和二十九年度における北洋母船式鮭鱒流網漁業に従事する独航船が中型機船底曳網漁船から選定せられることになつた経緯
底曳網漁業の減船整理及び転換は水産行政の大きな課題の一つとせられていたところ、農林省は、前述のとおり、昭和二十二年九月二十三日「東経百三十度以東機船底曳網漁業の許可及び起業の認可の方針に関する件」と題する農林次官通牒を嚆矢とする累次の通牒、通達により底曳網漁業の膨脹を抑制してきたが、昭和二十七年漁業法の一部改正により底曳網漁業が小型機船底曳網漁業と中型機船底曳網漁業とに分離せられた当時において中型機船底曳網漁船はなお二千三百隻の多きを数える有様であつたので、被告人が漁業調整第一課中型班長に就任した直後である昭和二十八年八月二十五日「中型機船底曳網漁業整理転換要綱」及び同年九月二十八日「中型機船底曳網漁業整理転換費補助金交付要綱」と題する各水産庁長官の通牒により、中型機船底曳網漁船に補助金を交付して鰹鮪漁業等へ転換せしめるという強力な措置が採られることになつた。当時被告人は資源を保護し且つ沿岸漁業との摩擦を避けるためには中型底曳網漁船約二千三百隻のうち九百十八隻、二万九千噸を整理する必要があるとの見解を持つていたが、鰹鮪漁業等へ転換せしめるための右補助金の予算額は約三百隻を賄う程度のものに過ぎなかつたので、被告人その他の関係係官はなお他の施策を研究中であつたところ、昭和二十七年、二十八年度に行われた北洋母船式鮭鱒流網漁業に多数の中型機船底曳網漁船が独航船として参加していることに着眼し、当時漁業調整第一課長であつた浜田正及び被告人等は昭和二十九年度以降北洋母船式鮭鱒流網漁業がいわゆる許可操業の段階に入るのを機会に中型機船底曳網漁船を独航船に転換せしめることによつて減船整理の実を挙げ併せて国費の節約を計らんとする計画を立案して上司に上申した。その結果右計画は、前述のとおり、採用せられ、昭和二十八年十一月十六日農林大臣によつて決済せられた「明年度母船式鮭鱒漁業について」と題する昭和二十九年度北洋母船式鮭鱒流網漁業の実施計画、及び同月十八日水産庁長官によつて決済せられた「明年度母船式鮭鱒漁業独航船の選定方法について」と題する独航船の選定基準がそれぞれ定められることになつた(被告人の当公廷(第八回公判)における供述、被告人の検察官に対する昭和三十二年五月二十四日附供述調書、及び証人浜田正の証人尋問調書、並びに水産庁備付「昭和二十九年度母船式鮭鱒漁業出漁関係(三)綴一冊(山形地方裁判所昭和三十二年(わ)第一四六号等被告人栃内万一に対する収賄等被告事件の証第一号)、いずれも押収に係る「中型機船底曳網漁業整理転換費補助金交付要綱」一部(証第六号)、水産庁長官発山形地方検察庁検事正代理次席検事竹内至宛「水産庁通達、通牒及び中型底曳網整理転換要綱等の照会について(回答)」と題する書面一綴十七通(証第八号)参照)。
しかして、右選定基準には(3)として「中型底曳網漁業の許可を廃業し、同船又は同噸数程度の代船により許可を申請した場合」と定められているのであるが、その前段にいう「中型底曳網漁業の許可を廃業し、同船により許可を申請した場合」とは中型機船底曳網漁業の現許可船自体がその許可を廃業して独航船の許可申請を提出する場合を指すのであるから格別の疑義が生ずる余地はない。問題はその後段にいう「中型底曳網漁業の許可を廃業し、同噸数程度の代船により許可を申請した場合」とは如何なる場合を指すのかということに在る。即ち、中型機船底曳網漁業の許可、及びその承継等に関し種々の制約が加えられていることと関連してその内容が必ずしも明瞭ではないからである。
二、中型機船底曳網漁業の許可、承継等に関する方針
中型機船底曳網漁業の許可、承継等に関しては、昭和二十二年九月二十三日「東経三十度以東底曳網漁業の許可及び起業の認可の方針に関する件」と題する農林次官通牒、及び昭和二十五年四月十一日「以東底曳総合的基本対策要綱」と題する水産庁長官通達、その他累次の通牒通達により、(イ)中型機船底曳網漁業の新規の許可は認めない、但し、(ロ)現許可船による漁業を廃止し他の船舶について許可を申請した場合(代船許可)、現許可船が滅失し又は沈没したため他の船舶について許可を申請した場合(沈没代船許可)、許可を受けた者から現許可船を相続、譲受その他該船舶を使用する権利を取得して当該漁業を営もうとする者がその船舶について許可を申請した場合(承継許可)、右の場合において現許可船が滅失又は沈没しているとき老朽船であるとき又は確実に他に転用され絶対に無許可操業の虞れがないと認められるとき他の船舶によつて許可を申請した場合(承継代船許可)、等の場合においては例外として許可を認める、(ハ)代船による許可は一般に被代船の船舶総噸数の範囲内で認めるが、代船の船舶総噸数が被代船の船舶総噸数より増加する場合には他の許可船の廃業による不足噸数を補充しなければならない、との方針が定められていた(昭和二十九年九月六日「中型機船底曳網漁業の許可又は起業認可の方針」と題する水産庁長官通達は従前の方針を整理統合したものである)。ところで、戦時中の臨時措置として底曳網漁業許可を一時都道府県知事に委せていた期間、都道府県知事が農林大臣から許されている枠以上の噸数を許可し、或いは漁船の実際の船舶総噸数と許可面の噸数とが相違している等の事情から現実に稼働している底曳網漁船の実体を捕捉することができない状勢であつたので、昭和二十三年十二月十三日「漁船登録実施に伴い実測の結果船舶総噸数の増加した東経百三十度以東機船底曳網漁船許可船舶総噸数変更申請に関する件」と題する水産庁長官通達を発して、底曳網漁船の実体を調査しその結果許可面の噸数より船舶総噸数が増加している漁船については現実の船舶総噸数をもつて許可噸数とすることによつて底曳網漁業の現状を現状のまゝ一応是認すると共に、当該漁船を被代船とする代船による底曳網漁業の許可を申請しようとする場合、その代船の船舶総噸数を一定の噸数の範囲内のものたらしめるとの条件制限を附することによつて減船整理の方針を維持せんとする特別措置が採られたことがあつた。この措置は昭和二十四年十月十一日限り廃止せられたが、潮来初太郎の所有漁船太幸丸の前記条件制限はこの時期において附されたものである。従つて太幸丸二十九噸三一に附されている「この許可船の代船として使用しようとする船舶の申請は船舶総噸数十六噸〇〇の範囲のものでなければならない」との条件制限は、これを右の中型機船底曳網漁業の許可等に関する方針との関連において理解すると、太幸丸は船舶総噸数二十九噸三一全噸の許可噸数を有しているが、太幸丸による漁業を廃止し他の船舶について中型機船底曳網漁業の許可を申請する場合(代船許可)、太幸丸の許可を承継し、他の船舶によつて許可を申請する場合(承継代船許可)、及び太幸丸の許可噸数を他の船舶の不足噸数の補充噸数に充当しようとする場合(補充噸数)等においては、これを十六噸のものとしなければならない(これを一般に制限噸数と称する)という趣旨となるのである(被告人の当公廷(第八回公判)における供述、被告人の検察官に対する昭和三十二年五月二十四日附供述調書、及びいずれも押収に係る水産庁備付「千葉県の中型機船底曳網許可台帳」一冊(証第四号)、水産庁長官発山形地方検察庁検事正代理次席検事竹内至宛「水産庁通達、通牒及び中型底曳網整理転換要綱等の照会について(回答)」一綴十七通(証第八号)、並びに昭和二十三年十二月十三日「漁船登録実施に伴い実測の結果船舶総噸数の増加した東経百三十度以東機船底曳網漁業許可船舶総噸数変更申請に関する件」と題する水産庁長官通達の謄本参照)。
三、前記独航船選定基準(3)について
証人栃内万一の証人尋問調書の記載によれば、前記独航船選定基準(3)の後段にいう「中型底曳網漁業の許可を廃業し、同噸数程度の代船により許可を申請した場合」とは、中型機船底曳網漁業の許可を持つている漁船一隻又は数隻の許可を廃業しそれと同噸数程度の他の任意の漁船により許可を申請した場合、ということであり、要は、独航船に相当するだけの中型機船底曳網漁業の許可噸数を廃業せしめるということを定めたものであつて、廃業する漁船と独航船の許可を受けようとする漁船との間に中型機船底曳網漁業の許可の承継という観念を認むべきか否かという点についてまで、直接的に、明かにしているものではない、ということを認めることができる。
しかして、本件において問題とせられているのは、四ヶ浦漁業協同組合の漁船協栄丸が制限噸数十六噸の条件制限が付されている潮来初太郎の所有漁船太幸丸二十九噸三一の中型機船底曳網漁業の許可を廃業せしめて独航船の許可を申請した場合であるが、この廃業する漁船太幸丸と独航船の許可を受けようとする漁船協栄丸との間に中型機船底曳網漁業の許可の承継という観念を認めるかどうかという点については、証人丸山文雄の証人尋問調書の記載、及び被告人の当公廷(第八回公判)における供述によつて明らかなとおり、特段の通牒、通達が存在していないのであるから、従つてその間を如何に処理するかは前記独航船の選定基準の趣旨と中型機船底曳網漁業の許可等に関する方針殊にその許可に附せられた制限噸数の性質とを勘案して判断せらるべき事項に属するものというべきところ、証人浜田正の証人尋問調書の記載と、被告人の当公廷(第八回公判)における供述、並びに、被告人の水産庁長官に対する「中型機船底曳網漁業許可につき御調査方御願」と題する書面、及びそれに対する回答書、被告人の水産庁漁政部長に対する「中型機船底曳網漁業許可について再調査依頼」と題する書面、及びそれに対する回答書とによれば、昭和二十九年度における北洋母船式鮭鱒流網漁業の独航船選定基準が定められ、独航船出漁許可申請に添附せられる中型機船底曳網漁業許可証の写を中型機船底曳網漁業許可台帳と照合してその存否を確めその廃業届の可否等を審査する事務を漁業調整第一課において分担することとせられた後、昭和二十八年暮頃、当時同課課長であつた浜田正、及び被告人等が右選定基準(3)の後段の内容について協議をなした際、右選定基準は独航船として北洋漁業に従事することと底曳網漁業に従事することとを等価値に考え、要するに独航船として出漁する漁船に相当するだけの中型機船底曳網漁業の許可噸数を廃業せしめるという点にその目的があるのであるから、選定基準(3)の前段によつて現許可船がその許可を廃業して独航船の許可を受ける場合には、その漁船の中型機船底曳網漁業の許可に次期代船の制限噸数が附されていると否とに拘らずその船舶総噸数である許可噸数全噸を廃業すればその要件を満し得るのと対比すれば、選定基準(3)の後段の場合においても、現許可船がその中型機船底曳網漁業を廃業したという事実があればその事実のみによつて他の漁船による独航船の許可を認めて差支えないものとし、その廃業する漁船と独航船の許可を受けようとする漁船との間に中型機船底曳網漁業の許可の承継という観念を認める必要はなく、従つて独航船の許可を受けようとする漁船が廃業する現許可船の許可を一旦譲受けてその承継代船許可申請をなした後改めて廃業するという、中型底曳網漁業を廃業してこれを他船による中型底曳網漁業に振り向ける場合におけるような手続は不要であり、その現許可船に次期代船の制限噸数が附されている場合においても、その許可噸数全噸をもつて独航船の許可を受けようとする漁船の補充噸数として使用し得るものであつて、かくすることがその前段との均衡上当然であるし、且つ現許可船がその許可噸数全噸をもつて稼働しているのを廃業せしめるのであるから中型機船底曳網漁業の減船整理の方針に反するものではない、との見解を採り、この見解に基いて昭和二十九年度における独航船のすべての審査に当り、本件の漁船太幸丸の場合においても、その中型機船底曳網漁業の許可に前述のごとき次期代船の制限噸数十六噸の条件が附されているのに、その許可噸数二十九噸三一全噸をもつて協栄丸の補充噸数として使用することを承認し、太幸丸の廃業届を添附しただけで協栄丸について改めて承継代船許可申請の手続を履践せしめなかつた、という事実を認めることができるのであつて、右の処置は右独航船選定基準の、要するに独航船として出漁する漁船に相当するだけの中型機船底曳網漁業の許可噸数を廃業せしめるという目的に反するものではないし、他方、代船許可、承継代船許可等による中型機船底曳網漁業許可の雪達磨式の膨脹を抑制せんとする、中型機船底曳網漁業の許可、承継等に関する一連の通牒、通達による減船整理方針に悖るものではなく、また太幸丸の許可に次期代船の制限が附された前述の理由及び根拠に照し、その条件制限の性質に違反する不法な取扱であるということもできない。殊に昭和二十九年度における独航船の選定は早急の間に決定せられそのため海洋第一課における独航船の選定と漁業調整第一課における中型機船底曳網漁業許可の廃業に関する審査とが事実上平行し若しくは前後して為されるという実状にあつたことなども窺れるのであるから(証人浜田正、同栃内万一の各証人尋問調書参照)、右の処置は決して右通牒、通達等に反する不法な処置ではないと解するのが相当である。
尤も、太幸丸のごとく次期代船の制限噸数が附されているのにその許可噸数全噸を独航船の補充噸数として使用することを認めると、その許可を底曳網漁船に振り向ける為に売却する場合と独航船に振り向けるために売却する場合とにおいて噸数の差異が生じ取引価格に相当の開きができて取引の安全を害する虞れがあること、及び独航船に振り向ける場合においても制限噸数の範囲内でその使用を認めることがむしろ中型機船底曳網漁業の減船整理方針に合致する結果になるのではないかとの見解も成立し得るけれども、しかし、本件における右のごとき処置が最善の策であつたか次善の策であるかは暫く措き、前述の独航船選定基準、及び減船整理方針に関する一連の通牒、通達等に反する不法な処置ではないと解するのである。
以上の理由により、昭和三十二年六月七日起訴に係る加重収賄被告事件の公訴事実中、被告人が職務上不正な行為を為したとの点、及び職務上相当な行為を為さなかつたとの点はいずれもこれを肯認することができない次第であり、本件証拠中右認定に反する証拠は右に述べた理由と対比し必ずしも根拠のあるものとは考えられない。
(法令の適用)
法律に照すと、被告人の判示所為中判示第一の所為はいずれも刑法第百九十七条第一項後段に、判示第二乃至第六の所為はいずれも同条第一項前段に該当するところ、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文、第十条に則りその罪及び犯情最も重いと認める判示第一の(二)の罪の刑に法定の併合加重をなした刑期範囲内において、被告人を懲役二年に処するが、情状についてみるに、被告人の犯行は前後十三回に亘り合計金百二十三万五千円の現金、額面一万円の商品券一枚及び一人当り金二千五百円相当の酒食の饗応、その価格合計金百二十四万七千五百円の賄賂を収受しているのであつてその犯行必ずしも軽微とはいい難いけれども、なお仔細に検討すると、判示第一の所為は加重収賄の起訴にも拘らず被告人が職務上不正な行為をなし又は相当の行為をなさなかつたという事跡は全く認められず、判示のとおり受託収賄罪の成立を認め得るに止まつていること、判示第二の収賄罪は、判示事実にも摘記したとおり、石狩湾関係底曳業者の代表である高橋政雄、大地岸太郎、表一二等の強引な陳情運動によつて惹起された犯行であると認められること、判示第四の収賄罪は当時山形県農林部水産課長であつた菅宮文作が仲介し同人も同席していた席上であつたため、被告人も安易な気持からその饗応を受けるに至つたこと等、それぞれの事情が認められて犯情いさゝか酌むべきものがあるし、他方、被告人は昭和九年六月農林省に奉職して以来昭和三十二年六月八日本件の起訴によつて休職処分に附されるまでの間在職年数通算十六年七月の長きに亘り克くその職務を遂行し、殊に昭和二十八年三月二十日水産庁漁政部漁業調整第一課中型班長に就任以来、懸案であつた中型機船底曳網漁業の減船整理及び転換施策の実施に尽力し当初の整理計画漁船九百十八隻のうちの九十八パーセント九百隻を超える漁船を整理する実績を挙げ、また至難を極めた北海道石狩湾の底曳網漁業操業禁止区域拡大問題にも、種々の政治上の情勢があつたにも拘らず、底曳業者と沿岸漁民との間に介在してよく大局の判断を誤らず、判示のとおり一応の妥結を見出させて沿岸漁業の秩序を維持せしめる等、我国水産行政に尽した功績は決して少くないこと、しかも、被告人は本判決が確定することにより公務員としての職を失うに至るかも知れないこと(国家公務員法第七十六条、第三十八条二号)、及び被告人は深く前非を悔い改悛の情また顕著であること等を勘案し、且つ被告人の家族関係、資産状態などを併せ考え、被告人に対してはこの際実刑をもつて臨むよりはむしろ刑の執行を猶予して更生の途を与えるのが相当であると信ずるので、被告人に対し同法第二十五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。なお、被告人が収受した判示賄賂はいずれもその全部を没収することができないから、昭和三十三年四月三十日法律第百七号による改正前の刑法第百九十七条の四後段に則りその価額合計金百二十四万七千五百円を被告人から追徴する。
よつて、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 蓮見重治 高橋太郎 伊藤豊治)